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マインド

生存戦略として「逃げる」ことの本質と有用性

皆さんは、「逃げる」ということについて、考えたことがありますか?

逃げるというと、日本ではやたら「悪いこと」言われがちだと思う方が多いんじゃないでしょうか。

逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!!」という某アニメキャラのせいもあり、逃げることのイメージって何故かネガティブに感じてしまうんですよ。。

おそらく、この記事を読まれている方も、そう思われている方が多いのではないでしょうか?

ですが私は、決してそんなことは無いんじゃないの?と考えています。

 

人間生きていればいろいろなことがありますけれども、むしろ逃げちゃって全然OKなことって、世の中にいくらでもあると思うんですよ。

それどころかむしろ、逃げないとヤバイと思われることのほうが圧倒的に多いのではないかな、と。

日本を取り巻く生きづらさには、上記のような逃げることに対するネガティブなイメージが一般化していて、正直しんどいです。

今回は、日本社会においてやたらと非難される「逃げること」自体は決して悪いことではなく、むしろときとして合理的かつ肯定的な判断と行動の一つであることを、本記事で訴えていきたいと思います。

 

「逃げること=悪いこと」という固定観念に苛まれている人や、そういうものの言い方をしてくる人に対して悩んでいる人が、「逃げること」にまつわる生きづらさから脱却できればと思います。

逃げるとは

そもそも、逃げるとはどういうことか、すこしおさらいしてみます。

「逃げる」について、weblioで調べてみた結果を引用します。

①つかまらないように走って去る。 「 - ・げる犯人追いかける
 

危険な状態具合の悪い状態から抜け出す。 「籠から小鳥が-・げる」 「鎖をひきちぎってが-・げる」 「太子已に-・げたりと思ひて備なし/日本書紀履中訓」

③面倒なことに近づかないようにする。関係することを避ける。 「役員を-・げた」 「 - ・げては通れない問題
 
スポーツなどで,先行を保って追いこされないようにする。 「二点リードしたまま-・げる」
 
正し方向・状態からずれる。 「熱が-・げる」 「腰が-・げている」
Weblioより)

上記から、「逃げる」については、かなり多様な意味合いがあることが分かります。

共通していることといえば、「(あるものに対して)関わりを避けること」であるといえそうですね。

そのうち、②について、注目してみようと思います。

逃げること(逃げないこと)は生死に係る場合がある

②が他の意味と大きく異なるのは、「逃げる」ことが「生死に大きく関わる」ことです。

これまで皆さんは、生死に関わるような出来事、体験したことがありますでしょうか。

生存に関わる事例として、今や世界的人気を誇るテレビゲーム「バイオハザード」を例に考えてみたいと思います。

「バイオハザード」から考える「逃げ」の本質

バイオハザードといえば、ゲームをきっかけに小説や映画等様々なメディアミックスで展開されているホラーアクション系のコンテンツ。

私も、小説や映画の視聴もあれば実際にゲームをプレイしたこともあります。ゲームをプレイした感想としては、非常に難しかった(というかめちゃくちゃ怖かった)のをよく覚えているので、できればもうプレイしたくないですね…。

バイオハザードの真の目的は「戦う」ではなく「生き延びる」こと

バイオハザードというゲームの一番の目的とは何でしょうか?「ゾンビを倒すこと」「戦うこと」だと、多くの方は思われるかもしれません。

しかし実はそうではありません。ゲームの一番の目的は、「生き延びること」です。(最近はシューティングゲームとしてひたすら敵を倒すものもありますが)。

 

つまり、過酷な極限状態の環境から「死なずに逃げ出す」ことが目的なのです。

勘違いされがちですが、必ずしも「戦う」のではないんですよね。

「戦い」に拘った結果待ち構えていた末路

バイオハザードの目的は逃げることで、ゾンビやクリーチャーと「戦う」のは、あくまでも生き延びるための手段に過ぎずません。

だって、四の五の言っているうちに逃げなければ、あっという間に死んでしまうのですから。

私自身、プレイステーション版の初代「バイオハザード」をプレイした時、ゾンビを全部駆逐することにこだわって、出会ったクリーチャーから逃げずに戦いました。

しかしその結末は、途中で弾薬切れを起こし、被ダメージが蓄積して息絶えるというGAME OVERでした。つまり「THE END」です。

逃げることも闘うことも数ある手段の1つに過ぎない

バイオハザードを事例から考えて欲しいのは、「逃げる」ことは人間の生存戦略にも関わることで、人間が取りうることのできる数ある行動のうちの1つにすぎないということ。

確かに、時には絶対に逃げられないという状況もあるかもしれません。ただ、そうした物理的に「逃げることができない」状況を除き、私は「逃げてはならない」と無根拠に考えるのは危険だと判断します。

もし「逃げてはならない」と考えるならば、何故逃げてはならないかを考えなおす必要があるのではないでしょうか。

つまり、逃げるか逃げないかは「自分の目的」によって決定されるべきで、その目的を達成する手段に対して、「逃げる」という行為が適切であれば、どんどん逃げ出してOKだと考えています

 

しかし、この「目的」が、他人の価値観や常識に支配されたものだったり、自分の判断基準に即したものでないと、おそろしく生きづらい状況に陥ります。なぜなら自分以外の何かに支配されてしまうから。

例えば、「大学は卒業しなきゃいけない」とか、「辛い職場でも”石の上にも三年”」とか、いろいろありますよね。

全然本質じゃないことにとらわれたり、それらを強いられたりすることで、費やす必要のないことに労力を割くことになるので、無駄な時間を過ごすことになります。

逃げるという選択肢を選ぶ根拠はあくまでも他人や世間の価値観ではなく、自分で責任を負える範囲で、自分の基準に基づいて決められるべきでしょう。

大切なことは「何のために逃げるか」を説明できる根拠を持つことorイメージできること

もしあなたが、現在非常に辛い状況に置かれているものの、周囲から「逃げるな!」と釘を差されていたとしましょう。

例えば、

「いじめっ子がいる高校に行かされそうになっている」

「パワハラ・セクハラを強いる上司がいる会社に行かされそうになっている」

とか。

 

こういう状況、普通に考えたらまるで心が腐りそうですよね。

きっとあなたは、大変苦しい思いをされているに違いありません。私も幼いころ経験があるので、心中お察しします。

 

ケースにもよりますが、もし私があなたに対して助言をできる立場であれば、

逃げることも選択肢の一つだよ

と提案したいところです。

ただ、そのときに重要になるのが、

あなたは、現在置かれている状況から、どのようになりたいのか

何故、”逃げる”という選択肢を選ぶか

を明確にしてほしい、ただそれだけです。

目的を明らかにして、さっさと逃げましょう!

逃げることによって、あなたはどうなりたいか。

つまり、あなたにとって目指すゴールはどこなのかを明らかにしてみてください

それさえはっきりしていれば、「逃げずに頑張る」や「最後まで諦めず闘う」ことがOKな場合もあるでしょうし、「むしろさっさと逃げて他の方法を考えよう」が推奨される場合も出てくると思います。

つまり、向き合う必要が無いもの、戦う必要が無いものからは、さっさと逃げてしまいましょう(ゾンビと同じように!)。

あなたにビジョンや目的があるのならば、無駄なものと向き合うために時間を費やす暇はありません。

人生は暇つぶしをするなら有り余るほどの時間がありますが、何かを成し遂げたいと思うなら圧倒的に時間が足りません

 

時間は有限で、あなたの命そのものだということを、決して忘れないで下さい。

 

必要ないものからは、さっさと逃げましょう。

でも、自分の目的達成に必要なことに対しては、徹底的に戦いましょう。

そんなんでいいんじゃないかな、と私は思います。

参考書籍:頑張ることを考えるために

逃げることとは若干ニュアンスが異なるかもしれませんが、「諦めること」について参考になる書籍があります。

それが、為末大選手が書かれた書籍「諦める力」です。

何かに挑戦することで、自分にはできないこと、難しいことを悟った時に、「諦める」ということを肯定的に捉え、どうすれば結果が出せるようになったかを説く良書です(作中では、諦めることを明らめると表現されており、諦める事の本質に触れています)。

努力至上主義者や、日本の群衆にもてはやされる根性論から距離を取り、物事の本質を捉えるための助けになるのではないでしょうか。

まだお読みになっていない方は、この機会に是非一度手にとって読んでみてください。

 

そして、自分にとっての「逃げる」意味や目的を明らかにして、限りある自分の人生について、考えてみてはいかがでしょうか。

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